3/11
- 耳ず

- 2021年3月11日
- 読了時間: 4分
3.11の日ですね。東日本大震災と、原発事故の起きた日です。
あの時の被災映像や人々の動きーー報道だったり個人の発信だったりーーを見ると経年に薄れず胸に迫るものがあります。
この出来事を振り返って、想いをつなぐことの難しさを感じます。というのも、着実に人々の記憶から、あの時の衝撃が忘れられていっているということです。それは自分を含めて。
もうあの日から10年経つのかと信じられない思いですが、あの時に得た教訓を2011年当時ほど懸命に実践している人はどれだけいるんでしょう。
忘れるとか、薄れるとかは悪いことではないと思うんです。むしろあの時ーー10年前ーーの気持ちが今もそのままではいけない。それでは前に進めませんし、そうなら心的ショックが今も癒えてない、ということになりますから。
私が3.11関連で今も心に残っているのが、被災地に残るとある電話ボックスに人々が集うという記事でした。
大切な人を亡くした人々が、動かない電話の受話器を取って、会えないあの人に電話するんです。
当然向こう側は無音です。本当にあの人に繋がってるわけじゃないんです。だけど人はそこの受話器に「もしもし」と声をかけるわけです。
胸が詰まります。
想いの力ですよね。本当に繋がっているかはどうでもいいんです。もしかしたら、私が知覚できないだけで繋がってるかもしれない、どこかで聞いてるかもしれないって思えたら良いんです。ずっと言いそびれてた、ずっと言いたかった、謝罪とか願望とか色んな思いを口にしたい。貴方に伝えたい。言葉に、したかったんだ………
そういうことです。苦しくてずっと胸にしまってたことを、口にする場所ができたということです。その相手は反応がなくてもいい。
それは生き残った皆んなが、これからも生きていくために必要な行為なんです。
相手は何も言いません。でもずっと聞いて欲しかった。ずっと言いたかった。
貴方、
貴方が、今もいたら………
辛くて誰にも言えない。辛くて誰かに聞いてほしい。一人で抱えてられない、潰れてしまう。
そんな、想いを、生きる人というものを、この電話ボックスが受け入れたんです。
ああ私は胸が、胸が詰まると思いました。
人が生きていくのに、誰かに話して、繰り返して、あの時の衝撃を薄めていくというのは大事なことなんです。
忘れるということではありません。
忘れていく、薄まっていくということです。誰もが経年を感じるから忘れないように3.11という日を作ったんです。この日になったら皆んなで振り返ろう。またあの日が教えてくれたことを考えよう。
それは、忘れていくからすることなんです。もしかしたらどこがで今日も記念日反応に苦しむ被災者がいるかもしれません。10年経っても過去にできない人、あの時の激しい感情を忘れてしまうことに苦しんでる人ーーそんな人もいるかもしれません。
だけど、忘れていくことは悪いことじゃないです。大事なのは忘れたくないという気持ち。それがあることです。
電話ボックスの話みたいに、本当じゃなくても想いが集まれば人は来ます。皆んなが同じ気持ちでいるということが大事なんです。
この「忘れたくない」「覚えていたい」という気持ちが薄れていくことが怖いことです。そのうち、そう思うことさえ忘れてしまう。日常に紛れていって、3.11がなんでもない日になってしまう。
そうならないように想いを紡ぐ。これが難しいことなんです。感情が乗らなければ人は忘れていきます。3/10は東京大空襲の起きた日でしたが、どれだけの人が意識していたかは分かりません。
3.11は映像や当時を生きた人々が沢山います。だけどこれから今以上に気持ちをつなぐことが困難になっていきます。2011年が、30年前のことになった時どうなってるんでしょうか。
こういうことを考えると、終戦記念日や原爆の日を残すためにどれだけの人が尽力してきたのかと、その規模を感じます。
少しでも誰かがこの日(今回は3.11ですが他の日においても)について言葉を紡ぐことが大事なのだと思います。
今日も各地で追悼があります。
想いが紡がれています
※記事で触れた電話ボックスについてです。
また、今日YahooやLINEで3.11と検索すると10円寄付されるそうです。もう知っているかもしれませんが、一応

コメント