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3/29備忘録

  • 執筆者の写真: 耳ず
    耳ず
  • 4月1日
  • 読了時間: 6分

備忘録的なものです。

(精神的に暗い話がつらつら書かれています)



今までの人生を振り返ると、本当につい最近になって、人に愛されたり優しくされたりすることを受け止められるようになったなと思います。


人からの愛とか優しさとかを信じていなかったわけじゃないけど、それ以上に自分に価値がないことを信じていたので、優しくされたり愛情もらったりという「ことをされる自分」を全く信じていなかった。そんなわけがないから。


その行動やその人自身の気持ちは信じてるけど、それを「される自分」の存在は信じてなかったから…………結果的に信じてなかった。


難しいけど、その気持ちを信じるのと、その行動を信じるのは別物だから、信じてると信じてないが共存していた…………し、自分の自分が好きじゃないフィルターもかかっていたから、何がなんでも愛とか優しさとか自分に対するものが、相手の気持ちや行動はそうだと感じるけど、自分の手に届いたそれが、「自分宛」で「優しさ」のままだということは感じられなかった。

(行動の評価と人格の評価を分けて考えられているわけではない)


なんというか、相手の意図を探っていて、この人は自分をどういう風に操作したいんだろうみたいな、そんな気持ちになっていたから、優しさしかり怒りしかり何かしらの感情が、「それを知って私はどうしたら良いんだろう。私にどうして欲しくて、この人はそんなことを言うんだろう。私を使ってどうゆう風に気持ち良くなりたいんだろう」みたいな目で見ていた。かなり捻くれた感じがするが、それはちょっとありつつも気持ちとしては、かなりヘコヘコしていて、ごめんなさいごめんなさい、私は馬鹿ですどうしたら良いですか?という感じである。

自信がないし、自分を最底辺の存在だと思っているから、おべんちゃらでそんなことを思っているわけではない。

あなたにとっての良い子になりたいですという気持ちだ。


だから、とにかく人が投げてくるものは自分にどうしてほしいかという意図を投げてきてるのだと思っていた。私に気持ちを贈ってるんじゃなくて、「お前どう返すべきか分かる?」と私が投げるものを吟味しようとしてきていると思っていた。贈り物が合格か測られる、試される……というような。


だから、怒りとか悲しみとか、傷つけたという類のものは自分宛だとザックリ刺さるけど、愛とか優しさとか温かい気持ちは自分宛だと受け止められなかった。それはそれをした人自身に返るから。



ちょっと話が変わるけど、テレビ版のエヴァ、25、26話。あれが死ぬほど好きだ。

シンジくんが公衆電話の受話器を取ると、みんなの声で「あんたなんて嫌い」と言われるシーン。

すごく分かる。すごくシンジくんの気持ちがわかる。

安堵するよね、安心するよね。やっぱりみんなそう思ってるんだって、安心する。

(これはそう思うことで安心するということで、実際にそうなると傷つきます。なんでそう思うと安心するのかは自分でも分かりません。)



私もずっとそう思っていた。みんなどんなに優しくてもこんな自分だから薄っすら「本当は私のこと嫌いなんだよね」と思っていた。

いつでもどうでも良い存在になれる。

自分が死んでも誰も悲しまないし、自分が死んで仮に涙する人がいたとしても、それは居た人がいなくなって寂しい程度のもので、時間が経てば忘れられていく。

そういうもんなんだって。


その一方で、自分がそう思うことが人を侮辱していることも分かっていた。自分は加害者のくせに被害者のようなつもりでいると思っていた。

自分が嫌いなのは自分なのに、他人の目を利用して、自分の気持ちを人に被せて自傷さながら気持ち良くなって酔いしれているんだと。自己嫌悪を深めた。

まったく負のスパイラル。


しかし逆に「ここには自分しかいない」、人を見る時自分の脳みそを通すから自分を見ているも同然なんだと思い、それが自分の拠り所になったりもした。

何をするにもずっと自分がいた。

ずっといるなお前という感じで。


自分が嫌いなのにこんなにずっと自分がいて、自分のことばっかり考えていて…………

人のことを思っても、それは人の思考を自分フィルターで補正するということだから、間違っていることも多くて、結局皆を通して自分を見ているだけだった。

自分が嫌いだから皆も自分が嫌い。

根拠はなくて、そうじゃないとおかしいという感覚だけ。


それはつまり、やっぱり人より自分を信じているということだった。自分に関心が死ぬほどあるということだった。

そんなのはどう考えても自分が好き、ということだった。


だから、好きと嫌いが共存していた。


自分は加害者だと思いながら被害者だとも思っていたし、自分が正しいわけないと思いながら、それだけは絶対的に正しいと思っていた。

消えたいと思っているのに、まだ生き続けている。

自分に関わりを持つ人に申し訳ないと思いながら、人と仲良くなれることが嬉しかった。

ずっと矛盾していた。



だから、私は矛盾したらダメだと言われたら、生きていけない。考えてることと行動が伴ってないじゃん統一しなよと言われたら、死ぬしかない。


自分のアイデンティティに、「本当は死ぬべきなのに生きてる人」というのがある。自分が何かすごく悪いことをしたからというより、「生きてて良い価値がないから」という感じだ。

感じだ、というのもザックリで、この感覚に根拠はない。ずっとそうだと感じていて、それは揺らぐことのない絶対的なもので、私が今後何を成し遂げようと不変だと思っている価値観だ。それは死にたいということではない。


むしろ自分は今日も明日も生きていたくて、最近はもうずっと楽しいから生きていたい。冒頭にも書いたが、いろいろな事や縁があって、最近は人からもらう愛や優しさをそのままに受け取れる様になった。だからすごく生きていて嬉しいし、生きるということに前向きだ。


だけども「自分は本当は死ぬべきなのに生きてる」という感覚は手放せないのだ。これがアイデンティティだから。ずっとそばにいたから。

その存在が私を安心させてくれる。

(ただ、人生が悪くなるとそれが一気に自分を追い詰めてきて崩壊させるんだけど…)

自分が自分をそう思うことを許してほしいのだ。人から言われたら傷つくけど、この感覚は言葉のままの存在では、もはやない。

幼少期からずっと一緒にいるぬいぐるみみたいなものなのだ。


だから…………エヴァの話になるんですが……最後の方でシンジくんが自分の考えを捨てるでもなく、散々吐き出した上でその自分に「ここに居てもいいんだ」と思えたことが感動的でした。自分も泣きました。

だからエヴァが好きです。


今結婚した方は私が自分をこう思っていることを知っても「そうなんですね」しか言いませんでした。否定も肯定もしませんでした。何かの意図というのが…感じられませんでした。

すごく自分と他人を割り切れている人です。

私はまだ他人と自分の境界が曖昧なので、こういう人がいることにすごく安心しました…。



だから、最近は……先ほども言いましたがいろいろな縁があって楽しく生きています。

ずっと私の生きてて良い理由を誤魔化しながら生きていますが、今後も誤魔化しながら生きていければ…と思います。

変な話ですけど、自分のアイデンティティの存在を感じつつも、それの言葉の意味自体はぼやかし続けられれば…と思います。


………となると、この私のアイデンティティの存在を強く感じることも薄くなって、そのうち若気の至りみたいに消えていくのかしらと怖くも感じるので、備忘録として書かせていただきました。

自分のアイデンティティ……誤魔化したいのに、その存在にはずっと触れていたい。不思議なものです……ずっとそばにいてね。






 
 
 

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