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- 耳ず

- 2024年6月23日
- 読了時間: 3分
古谷徹さんが不倫騒動を起こしてから、先日いくつかの役や仕事の降板が発表された。
有名な役柄の一つに「安室透」がいる。
名探偵コナンのキャラクターだ。
彼はガンダムの「アムロ・レイ」を元に作られたキャラクターであり、古谷さん込で作られたキャラである。
だから、その役を降板したとあってとても悔しい気持ちになった。
彼の声は間違いなく古谷徹さんしかいない。
古谷さんしかいないんだ。
(私はとんと声優に疎いが、このキャラはこの声しかないというこだわりは強い)
だけども、こういったことは仕方がない。
それだけのことをしてしまったのだし、ご本人がせめてもと決めたことだからしょうがない。
だけども、だけどもやっぱり悲しいじゃないか…。
何がこんなに悲しいのか。
悔しいってなんなのか考えてみると一つ思い当たることがあった。
ホロライブ3期生「潤羽るしあ」が解雇された時だ。
この気持ちはその時と似ていた。
この時も今と同じく、「るーちゃんはこの方が命を吹き込まないとるーちゃんじゃない。だけども、こうなってしまったから、外野からどうこう言っても仕方がない…。悲しいけど仕方がない。」と思っていた。
桐生ココちゃんーー会長は正式に卒業だったため、ここまで悲しくなかったが、突然いなくなってしまうというのは、なんだか奪われてしまったような気持ちになるのだ。
そう、奪われてしまった。
悲しさはここにあるのだ。
ーー普段私たちは、キャラクターを一個人として見ている。中の人など考えず、その容姿を、その性格を、その生い立ちを、その声を楽しんでいる。
だけども、こうして不祥事が起きてしまった時、否応がなしにも中の人を意識させられてしまう。ビジネスなんだった。現実と地続きの社会だったんだ。
私はテーマパークにハマらない側の人間だが、テーマパークで突然夢が覚めるかのような感覚が最も近いんじゃないだろうか。
演者側が夢を終わらせてしまった。
ーーー悲しいのは、キャラクターの声が失われてしまうことなのだ。
声優さんがその役じゃなくなるのが悲しいというより、そのキャラの声がもう聞けないのが悲しいのだ。
声優の声である前に、キャラクターの声なのだ。
だから、中の人の不祥事によってそのキャラの声が失われるというのが耐えられない。
そういうのが悲しいのだ。
そう思った。
こんな形でキャラクターの声が失われることが悔やまれるのだ…。
ただ、それだけです。
この成り行きに対して悔やまれるというのはないです。然るべき成り行きだと思います。
このようにどれだけキャリアのある人間でも、等しく裁かれる世の中になったのはクリーンになってきている…と言う事だと思います。
メディアでの盛り上がりやSNSに渦巻く感情には思うところがありますが、当事者やその周囲に判断を任せます。
滅多にこういうことには触れませんが…アムロ・レイが好きな者として触れておいた方が良いかと思い気持ちをまとめておきました。
(アムロが主人公の物語は完結しているので、この先どうするのという不安はないです)
お目汚し失礼致しました。

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