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  • 執筆者の写真: 耳ず
    耳ず
  • 2024年7月24日
  • 読了時間: 11分

AI絵について



ある日姉から、このスレミオが良いよと送られてきた。

それで、送られてきた漫画を読むとそれはAI絵だった…。私は言いようのない虚無感に襲われた。

AIとの共同制作…

原作:人間、作画AI………?


もやもや

もやもやもや………


たまらず私は、この方のnoteを読みに行った。そして思ったことを、以下に書いていこうと思う。



ひたすらAI絵をやってたら絵が描けるようになってた話


「AIイラストって絵の勉強になる…?」取材を受けて考えたあれこれ



ーーーーーーー



私がなぜ絵を描くかというと、まず「楽しい」からだ。

しかし、絵を描いているとその内、描きたいものと自分の腕にギャップがあることに気付がつく。

それが苦しみとなり、初期の単なる楽しいとは違う状態になる。

最初は下手でも良いと思いながら描くのだが、「描けね〜描けね〜よ〜…」と涙を流しながら(誇張表現)描く様になる。


「描けね〜よ〜…」とは、「こう描きたい」があるからこそ生まれるものだ。つまり、この過程にこうした方が良いという気付きがあり、成長がある。


この気付きは、私の場合好きな人の作品(一次創作二次創作に関わらず大体漫画)を見ている時に起きる。


「この人のこの絵が素晴らしい……デフォルメがうますぎる……黒の使い方がうまい……シンプルで洗練されてる〜!好きすぎる……」


「キャラクターの目を通して見えるものは、単なる背景コマと線が違う……どこまで描くかもキャラの意識に準じてるんや、表現すごすぎる………涙」


「なんだこのコマ割り!?こんなコマ割りの仕方があるんや…キャラの心のダメージが見える………天才すぎる…………涙」


習得は模倣から始まるという。

上記の様な気づきをを得ながら、自ずと絵柄や画風が変わっていくのだ。


だから、絵を描いて、上達するという過程には果てのない苦しみが付きまとう。

どう描ければ良いというのはなく、常に「今自分に描ける最高のもの」を描いている。

十分とは思っていないが、今の自分ではこれが限界……というのを仕上げる。

そこで一応の納得をするのだ。その度に壁、限界を見るのだ。


上記にリンクした方の記事に、こうした記述が出てくる。




 AI-Assistantを使ったAIお絵描きは、初心者に絵をあきらめさせる「あんなに時間を掛けたのにすごくヘタな絵ができあがった…」というガッカリ体験の心配がなく、お絵描きの楽しいところだけ味わえるのが素晴らしいところ。きちんと絵を学んで画力を鍛えたい人、将来クリエイターを目指している人には不適かもしれませんが、余暇にお絵描きっぽい体験をして楽しみたいだけのエンジョイ勢にとっては、ペン入れなどの技術的なカベをパスできるのは本当にありがたいです。




リスクを負わず、お絵描きを楽しむためならAI絵を利用するのは理にかなっていると言える。

正直絵を描いていると精神的ダメージを受ける。己が限界を知るからだ。

だけど、AI生成であればそのダメージはない。


ーーーだから、絵を描く者はAI絵に対しモヤモヤするのだ。そういったインスタント絵と自分の絵を一緒にして欲しくないのだ。


かの有名なピカソのエピソードにこういったものがある。




ある日、ピカソはファンの女性に呼び止められ絵を描いて欲しいと求められました。数十秒で紙に描いた絵を渡したピカソは、「この絵の値段は100万ドルです」と告げたそうです。それに対して女性は驚き、「この絵を描くのに“たったの”30秒しかかかっていないじゃありませんか!?」と。しかし、ピカソは「いいえ、30年と30秒ですよ」と微笑みながら答えたそうです。*1




絵の価値はその上手い下手ではなく、付加価値によるものが大きいと思う。

絵を描く人にとって、絵はその人のアイデンティティそのものだ。

絵を描くのにかかった時間ではなく、この絵を描けるようになった時間を表している。

ピカソの話で伝わると思うが、目の前の作品は、人生を通して創られたものなのだ。


(私はよく自分の作品を卑下し、粗末に扱ったりするが、それは何も作品を特別に思っていないという訳ではない。

作品は自分自身なのだ。

自分が自分に価値を見出せない時、作品の扱いも同じ様に悪くなる。

自分が自分を好きな時、この作品もまあ悪くないと思う。

…作品と作者は表裏一体であり、自身の自尊心や自己肯定感、価値観と強く結びついている。

だから絵を貶されると自分が貶されたのと等しいし、勝手に学習されると自分の精神的な何かを盗まれたかのような気持ちになるのだ)



私は、過去の記事で、絵を見ることと描くこととには雲泥の差があるということを言った。見るには雑食だが、描くのはコレだけというのは、自身のアイデンティティが関わってくるからだ。アウトプットは、理解と技術がなければできない。

例えばドラえもんを描いてくれと言われて、頭に絵は浮かぶのに描けないというのはよくあることだ。よく描くためには、「自分はここが分からなかった。ここが描けなかった」と、把握することが大事なのだ。


AI生成は、「できない」という傷つきを回避して得るイラストだ。

描く人は勿論それを「描ける」とは言わないし、その価値を認めないだろう。



では、AI絵を嫌がる人とAI絵を受け入れる人の違いはなんだろうか?


ーー私は「絵に対して重視するものは何か?」ということだと思う。


前者は、絵は「自己表現」が大事だと思っている。

絵は自分の好きなものや気持ちを表現するためのツールであって、内なるものをアウトプットするのが目的だ。先ほど私は絵の価値は付加価値にこそあると言ったが、「自己表現力」はそれを作る土台のようなものだろう。


対して後者は、絵は「上手か否か」が大事だと思っている。

絵は消費することが前提で、最優先で考えられるのはクオリティである。だから他人の目が大事であり、消費に耐えうる美麗なものを作ることが目的だ。


ここに埋まらない溝がある。


添付したブログの投稿主は、絵への理解についてこの様に記述している。以下抜粋。




「キャラクターを見せたいなら主張の激しい背景はむしろ邪魔で、自分できちんとディレクションして前景と背景が相互に高め合う背景が作れないなら、白背景の方が1000倍マシ」ということが体感的に理解できるようになってきました。


自分の中でも、背景のちゃんとあるイラストでキャンバス全体を意図通りに作ることができたのは初めての体験で、このAI絵を作れたときのことはすごく印象に残っています。


AI絵の瞳の加筆修正にずーっとハマっていました。

これは「AIが描く瞳の意図のなさをまず消さないと始まらない」ということが分かってきたからでもありますが、単純に推しの目を塗るのがめちゃくちゃ楽しかったんですね。


「背景が描けないから、なんかエモい色を塗ってそれらしくする」というのは、たぶんお絵描きの初心者が必ず通る道なのではないかなと思います。私は非常に迂遠なルートを通って、1年半以上かけてお絵描きのスタート地点にようやくたどり着いたと言えるのかも。




私が驚いたのは、この人が「カラー絵(塗りのある絵)」「背景のある絵」を当たり前に思っていることだ。そして、それらの意味について後から気づいたということだ。

これは、技法に対する気付きではなく、絵を描くということの根本的な気付きだ。


だから、私は「順番が逆だ」と思った。


子ども頃身近な文房具はなんだろうか。鉛筆、クレヨン、チョーク……etc

それらを与えられてまず描くのは、線だ。

ぐるぐるの線やまっすぐの線、ギザギザの線などいろんな線を組み合わせて絵を描く。

私はその次に塗りがくると思っている。(言葉通り。児童発達の本を借りていますが、まだ読んでいないので、この考えがあっているか説明はできません)


絵を描く対象は、興味のある物から。

例えば犬だったら、まずは犬。

それからより良く犬を描きたいと思って、その犬を説明する情報が描き足されていく。


色を塗って、茶色の犬だということ。

地面を描いて、外にいるということ。

青空を描いて、晴れた日であるということ。


犬にボールを咥えてもらい、目を輝かせる。

瞳の中にぼんやり人影を描くといいかもしれない。

それだけで犬が大好きな人と一緒にボール遊びしているのだと分かる。



絵の情報が増えるとは、そういうことだ。



だのに、その過程がまるっきり逆だった。

驚いた。


絵に意図があるのは当たり前だ。だけどこの人は絵が先にあって、それから他人の反応を見て「テーマがシンプルに伝わる方が良いのか」と気付いていった。この人にとって良い絵とは、他人の反応次第なのだ。

他人に消費される絵にこそ価値があると思っている。


ーーこれが「絵に対して重視するものが違う」と思った理由である。

AI絵を作成する人は、絵を作りながらも意識は消費する側にあり、無意識下で絵を描く人とブツかる。

絵を描く人はそのためAI絵を見るだけでモヤモヤするのではないだろうか。

(絵を描く人、というとても大きな主語を使ったが、ここにはそうであってほしいという願望が入っている。絵を描く人の中にも、AI絵に肯定的な人がいるかもしれない。

だから、これは「私の考えたこと」にすぎないことを考慮してほしい。)


ーーーーー




この人は自分は絵師になったつもりも、そうなる気もなく、ただ自分の楽しいのためにしているだけだと言っていました。

しかし、SNSにあげた時点で、そしてその様に人目を反映しながら絵を変えている時点で「絵師になったつもりも、そうなる気もない」などと言えるでしょうか。

また、AIが出したイラストに手を加えるという行為は自己表現の一種です。

オリジナリティを出したくてしている行為です。

それが評価されると、「自分の絵が評価されている!」と嬉しくなりますよね。

それは、絵にプライドを持っているということではないでしょうか。


ーー本当に個人で楽しむのなら、SNSにあげる必要はありません。

ただみんなに「良い絵」を広く知ってもらいたいだけなら、そのAIイラスト、誰が発信しても問題ないはずです。

誰かがこの方の作品を無断転載し、フリー素材化しても良いはずです。

だけど、それはきっと不快な思いがするでしょう。


自分では承認欲求と関係ないと言っていても、無意識のうちにこういうものは湧いてきます。

絵師になる気はない。その言葉は本当だと思います。

だけど無意識にはもうなっています。

褒められれば誰だって嬉しいですから…




ーーーー


では、絵が消費前提で成り立つところとはどこだろうか。

それはビジネスの場だ。


とある企画をPRするために、ポスターを作るとする。そのために一枚絵が必要だとしてあなたならどちらを利用するだろうか。


人間

価格:5万円

制作期間:1週間


AI

価格:1000円

制作期間:5時間


安い上に早い方を選ばないだろうか?

ましてAIならイメージをすり合わせるミーティングの必要なく、再出力すればいいだけの話だ。

もしこれがビジネスなら、絵に対して余程のこだわりがない限りAIを選ぶだろう。

なぜなら低コストでそれなりのものが出来るからだ。

高クオリティのものは特に求めていない。イメージを再現してくれるそれなりなものがあれば、ポスターとしては十分だ。


だから、そうした商売で見た時AI絵には需要がある。本と電子書籍のように、人間が描いた絵とAIの作った絵で市場を争うことになるだろう。

実際既に、AI絵を利用したポスターを2回ほど見たことがある。




絵を描く側が「AI絵と一緒にしないで!」と言ったって、AI絵を作る側が「絵師のつもりはないですから…」と言ったって、絵を消費する側からしたらどちらも「絵」だ。

絵が必要な時、どちらにしようか選ぶ人は、絵が「良い」ものであれば、どちらでもいい。都合のいい方を選ぶ。

だから、同じ市場で争うことになるのは当然だ。


その時、先に出した例のように人間の方が不利益を被るが怖い。

ただでさえ絵を仕事にするのは難しい。

それがこれからはAIの参入でもっと難しくなる。

杞憂かもしれないが、真面目に絵を描いている人が馬鹿を見る世の中は嫌だ。


ーーーーー


今回、AI絵によって、絵を描くとはどういうことか考えさせられた。絵に対して、人によって意識の差があることも感じた。


私は普段絵を見る時、それがAI絵だと分かったら途端虚しくなる。虚しくなって悲しくなる。

ところが、姉にAI絵とわかった時どう思うか聞くと「AI絵だったんだ〜と思う」と答えられた。悲しくなったりしないという。


驚いた。

もしかしてこれは、絵を描く人特有のものなのだろうか?


それで身近な人に「AI絵と分かった時どう思うか」を聞いてみたらーーーーそんなことはなかった笑

絵を描く描かないは関係なかった。

だから意識の違いなのかと思う。

その違いというのが、大きく分けて、前述した2つではないかというのが今回思ったことだ。


まさか自分のモヤモヤがこんなところに行き着くとは思わなかった。


今後、絵を描くという仕事について、それが身も心も削って作る大変なものだということが、どんどん伝わらなくなるのではないかと悲しくなった。


上手な絵だって、すらすら描かれるソレは魔法でもなんでもない。

どんなに綺麗な線や色を載せれるようになったってずっと苦しくて楽しいのだ。


個人的には楽しくて苦しいではない。

苦しくて楽しい。

絵を描くとは、その少しの楽しいがあるから「なんだかんだやめられない」のである。



*1 アート買取協会https://www.artkaitori.com/staff-blog

 
 
 

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