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- 耳ず

- 1月8日
- 読了時間: 7分
狂四郎2030全巻読み終わりました!
3巻無料で読んでの感想は的中しました。
傑作、名作です………………!!!!!
エログロなので、勧めにくいですが、知らずにいるのは勿体無いレベルで素晴らしいです。皆さんもよければ……読んでみてください…!!
各巻で感想を言いたいところですが、煩雑になるので、以下要点を絞って感想を載せます。
※未読で感想を読む方へ。感想はできる限り具体性を欠かせますが、展開のネタバレを含みます。ご注意ください。
また、意味がわからないと思うのでざっくりあらすじを説明をさせていただきます。
前提として、この世界はゲノム党の台頭により遺伝子によって人間に優劣がつけられています。優秀な遺伝子を持つ、一部の権威者のみ夫婦で暮らせます。
通常男女は隔離され、異性と会うことは許されません。そのため性欲の発散のため、国民の多くはバーチャsexというバーチャル空間での擬似体験をします。
主人公狂四郎はその空間で志乃という恋人を得ますが、それがゲームキャラクターに扮した現実の女性であることを知ります。志乃を通して社会の闇を知り、狂四郎は国家の規範を破り志乃に会いに行くのでした…。
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※ヒロインは、名前が二つあるが、ここでは「志乃」と統一して呼ぶ。
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狂四郎2030のよかったところは、狂四郎と志乃がお互いに自身を汚らわしいと断じていながらも、相手の気高さと良心を信じているところにある。
そしてお互いに、これまでの苦しみの分、自分が相手を守ってあげなくちゃと思っているところだ。
狂四郎は、M型遺伝子異常というレッテルのため人権を失い、生きていくには軍人として汚れ仕事を背負うしかなかった。そのために特殊な任務に当たり続け、戦闘能力、センスが異常に長けた人間になってしまった。
そのため人を殺す機会も多く、戦時中は勿論戦後も…そして志乃に会うための道中も国家に逆らって生きていくという選択をした時点で修羅の道に身を投じていく。
狂四郎の恐ろしさは作中で何度も描写されており、読者としても殺人を行う際のスイッチが入った狂四郎は恐ろしい。もし目の前にいたら、威圧感で立っていられないだろう。
だけども、狂四郎は根っからの殺人鬼じゃない。志乃の前にいる時の狂四郎。それが狂四郎だ。いや、それも狂四郎だ。
この作品では、狂四郎が殺人鬼である自分とバーチャル(志乃の前)の自分の違いに恐れるシーンが何度も出てくる。こんな血で汚れた自分が、志乃と一緒にいて良いのか?と…。
こんな自分が受け入れてもらえるのか?と…。
狂四郎は自分の中の闇を理解し、穢れを理解し、それが故に志乃を眩しく思う。
志乃は孤児になってから、努力し、プログラマーとしての才能を見出されその職につく。しかしその後も権威に傘を着た男共に犯され、心に傷を負う。それでも潰れず1人で一生懸命生きてきたのだ。ゲノム党の洗脳を許さず、差別的思想に染まった世界で自分の考えを頑なに守ってきた。決して折れなかった。
一方狂四郎は、第一政党がゲノム党のこの国で、国家の犬として「なんでも」やってきた。本来なら生きていけない自分を、国家は職を与え生かしてくれると…。狂四郎は生きていくために思想を迎合していたのだ。
だから志乃に対して自分を恥じ、汚らわしく思い、不安に苛まれたのだ。
志乃に見合う人間だろうか自分は?
一方志乃も同様に、狂四郎に見合う人間かと自責の念に駆られていた。
志乃も遺伝子が原因で過酷な生活を送ってきていた。身寄りを失ってからも弛まぬ努力でやっとプログラマーの職につき、安心を得たかと思えば、そこでは権威を盾に幾度となく身を犯された。抵抗しても無駄なため(被害を報告するが何も対応されない)、志乃は男たちに素直に体を開くことで身を守ってきた。その日々を思うと、志乃の体は震え涙も出てくる。だがしかし、決して苦痛だけを感じていたわけではなかった。確かに快感も得ていたのだ。だから志乃は自分は淫売だと、汚れていると自分を恐ろしく思うのだ。
(当然ながら、体の反応と心は別である。体が快感を得ていったとしても、心が伴っているわけではない。本人がそのことが原因で、本当は自分は喜んでいたのではないかと錯覚してしまうことがあるが、当然そうではない。反抗できる状況になく、自ら迎合する態度を取っていたとしても同様である)
狂四郎は環境に迫られ、生きていくのに仕方なく心を殺して人殺しをした。優しい心が殺されていくのだ。それが痛くないはずがない。もし痛みを感じないとしたら、それはそれだけの死地を超えてきたことを指している。なぜなら狂四郎は志乃のことを思って涙し、苦しみを志乃の分も背負おうとする男だからだ。
そんな優しい狂四郎。そんな狂四郎がまっすぐな瞳で自分を信じ、志乃のために再び修羅の道に身を投じたのだ。眩しく思うのだ。こんな汚い自分が、狂四郎と見合うのかと。
2人とも同じことをしている。
相手は優しく、強く、素敵だとしながらも自分は「殺人鬼」だの「淫売」だのと断じる。
2人のしてきたことは確かにそうだが、自身でそう評価するほど自主的なものではない。どちらも環境の影響が大きいからだ。この世界は狂っている。
狂四郎は任務に身を投じなければ生きていけなかった。
この世界での狂四郎の武器は、人殺しの力だった。
志乃は男たちに身を捧げなければ生きていけなかった。
この世界での志乃の武器は、身体の魅力だった。
何かを得るにはそれをするしかない。その方法しか、知らなかったのだ。
2人ともにとって、それは世界を生きていくための武器であり、自身の汚点だった。恥部だった。目にしたくない、できるなら知りたくない自分。嫌な自分。
それを、2人は、2人のためなら、再び武器として振るうことができたのだ。目を背けたくなる自分の闇。そこに再び身を投じられる。狂四郎/志乃のためなら、犠牲にできる。そんな苦しいまでの優しさをもっている。
2人は持っているのだ…………。
2人が手を取り合って生きていけるなら、修羅の道にも身を投げる。貴方がいない世界は生きていても仕方がない…
それがこの作品の最も魅力的なところである。純愛だ。純愛。
これに尽きる………。
また、この作品には人間の光と闇がとても丁寧に描かれている。善良に見えた市民の愚悪。巨悪に見えた権威者の優しさ。
エゴのためにどこまでするのか?どこで裏と表が繋がるのか?
境目のわからないまま話が進行し、善の顔でいつの間にか悪が行われているのがこの作品だ。正反対なはずのものが、いつの間にか姿を現す。
例えとしてーー私事になるがーーひとつ話させてもらう。
私は加害(してしまったんじゃないか)思考が強く、どこかで誰かを傷つけたんじゃないかと恐れることがある。その時、他人の態度から「傷つけてしまった」と勝手に判断し、「自分は嫌われている」と思い込み、だから「こんなことをされたんだ」とあらぬ被害妄想を作り出し、受けてもいない被害を思い込む。
「相手を〜して傷つけたから、自分は相手に傷つけられるんだ」
それは私が「そう印象した」「思った」だけで、事実としては全く何でもないことだったりする。された相手からすれば、覚えのない罪を作り出されたも同然で、いわば冤罪なのだ。
だが、当事者からすれば「その印象」は「事実」と同等であり、尚且つ自分の加害思考を補填するものにもなる。
つまり、加害思考が発端で、加害と正反対の被害妄想を生み出すのだ。
そしてこれは逆も然りで、被害思考が発端で加害妄想を生み出すこともあるだろう。
「自分は〜して傷つけられたから、自分は相手を傷つけるんだ」
この様に正反対な性質のものがいつの間にかくっ付いている…ということは現実にもあり得ることであり、それこそ人間味だといえる。
勿論それが良いと言っているわけではない。
善行のつもりで悪行をしていたーーそんな自分の過ちに気付いたのなら正すべきだし、自覚すべきだ。いますぐ変わるのは難しくても、せめてそういう状況だということには気づくべきだ。
だけども、私が言いたいのは、最初から善悪の二元論で語れるほど人間は単純じゃない、ということだ。シチュエーションが変われば意見や考え方が180度変わる。人間の思考は複雑だ。
先に言った、悪だと気付いたなら善なる方向にすすむべきというのも私の身を置く社会での話で、狂四郎たちの狂気の世界では簡単にそうだとは言えない。彼らの世界では、悪だと分かっていても、自分たちを守るために戦うしかなかったからだ。
そんな矛盾や表裏一体、二律背反が赤裸々に描かれたこの作品は、ヒューマニズムに溢れていて深みがある。
そして土台には愛がある…。
だからこの作品は恐ろしく魅力的なのだ。傑作、名作と呼ばれるに相応しい、大作に間違いない。
感想で触れなかったが……狂四郎と志乃を支えたバベンスキー………ありがとう…!!!!
貴方がいなければここまでこれなかった!
そして飛鳥も…!2人を繋いでくれてありがとう…!
狂四郎と志乃の幸せを祈ります。
幸せになれよ〜〜!!!!涙

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