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- 耳ず

- 2024年6月3日
- 読了時間: 7分
更新日:2024年6月4日
最近本を読んで思ったことのメモです。
なぜ人殺しをしてはいけないかというと、「それをしない」ことを前提に社会が成り立っているからだ。
暴行罪や傷害罪、名誉毀損罪など、法律で定まっているこれらは、「それをしない」ことを前提に成り立っていることを表している。そしてそういうコミュニティに私たちは参加している。
だから、これをしないことが社会に示す「信頼」であると言える。
例えば、飲食店でご飯を食べる時、メニューに「国産牛」や「スペイン産オリーブ」などと書かれていれば、それをそのまま信じて注文する。
それは、お店が嘘をつかないという風に信じているからだ。
そんな感じで、便利で安全な社会というのは、色んな人の努力と信頼によって成り立っている。そのおかげで、安心して衣食住を満たすことができるのだ。
もし、これらの信頼が成り立っていなければ、外に出ることは愚か家の中でさえ怯えて過ごすことになるだろう。
ーーーだから、「信頼」を守るというのは大事なことなのだ。
ところが、自分のいる場所によって、「信頼」を勝ち取る方法が社会とズレてきてしまうことがある。
人が集まると組織ができる。組織ができると、人間関係がうまれ、そこで信頼を得る必要がある。
最近オウム真理教の事件や集団暴力事件などを見ていて気づいたのだが、そうした暴力・殺人が肯定される組織の中にいると、それを行うことこそが「信頼」を得る行為につながることが多い。
社会から道を踏み外したからこそ、こちらの世界にようこそというような感じだ。
もしそれができなければ、逆にその組織にとっての危険分子になってしまう。
暴力・殺人を肯定した後の組織は、もう何でもありになってしまい、暴走した機関車の様に壊れるまで走り続ける。そこに継続性はない。
人々は恐怖に支配されて疑心暗鬼になり、人間関係が殺伐としていく。
まして、トップに立つ人間が自身の欲に溺れ、周りの意見に振り回され、暗殺に怯える様になれば、そこは地獄と化していると言って良い。トップとは基本的に支持役であり、リスク回避や威厳のために直接手を下すことは少ない。そのため、権力こそあれど、部下達の方に武力はあり、下剋上に怯える様になるのだ。
そしてそれを押さえつけるために、上に立つ者は下の者にどんどん厳しくなっていく…。
これを地獄と言わずして何と言おう。
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だから、社会で殺人や暴力を肯定するわけにはいかないし、国がコントロールする必要にある。そのために警察や軍など、治安維持部隊が存在する。
そしてそれら自身も、武力によって驕らないために、民衆によって見張られるべきなのだ。
人が集まると碌でもないのは、こういったことを自分自身でコントロールするのが難しいことだからである。
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最近ハンターXハンターのOVA(旧)を見たのだが、蜘蛛の組織のあり方はすごいなと思った。
彼らはクロロをボス(蜘蛛の頭)として、組織を形成している。ボスの言うことは絶対だし、旅団員はボスの言うことを聞くのが当たり前だ。しかし、それは何があってもボスを立てろということではない。
いざとなれば、ボスを見限っても良いのだ。
クロロは言う。
維持すべきは「蜘蛛」という組織であり、トップのために手足である旅団員全員が死ねば蜘蛛は跡形もなくいなくなってしまう。それが最も避けるべきケースで、頭さえもパーツに過ぎず、亡くなったパーツは挿げ替えればいいのだと…。
この発想があれば、確かに組織が無くなることはないだろうし、ボスが異常に祭り上げられることもないだろう。
しかし、このOVAでは、この「組織の方針」と「仲間意識」が対立し葛藤していく…。
上記の話が出ることから分かる様に、クロロが敵に捕まり窮地に追い詰められた時、助けに行くか行かないかで揉めるのだ。
人間とは難しいもので、情が湧いた人間に対して切り捨てにくい。思い入れのある相手とその他とを平等に見ることはできない。
また、「ボスの言うことは絶対」を守るということは、「自分はこの人を信じる」ということである。
指示を今まで聞いてきたなら、決定権を委ねる何かがその人とあったということだ。尊敬していたり、憧れていたり、褒められたい、好かれたいと思ったり…。
その様な相手を称賛せず、パッと切り捨てるというのは難しいものだ。
それは自分自身の心をも切ることになる。
自分自身も傷つくことになる。
だからーーーこうした思想を共有した組織の中で、どうだから抜け出すという判断をするのは難しいことなのだ。
単にお金が欲しくて働いている会社員とは違い、思想を共有する団体や宗教団体、友人同士の組織などはトップの力量が測られる上に部下としても情が絡んでくるためコントロールが難しいのだ。
そう、全体的に。
本来は温かい「仲間意識」というのが、地獄を生み出す一端を買うというのは不思議な話だ。
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5/31〜6/2にかけて、北九州監禁殺人事件の本を読んだ。ブルースカイに感想を呟いたが、あまりのおぞましさにもう二度と手に触れたくない本である。詳しくはブルースカイに呟いている感想を見て欲しい。
この事件の主犯は自分が詐欺行為で指名手配を受けてから、無職になり、金に困窮したため(語弊あり。働いている間も後述の様な詐欺行為は行っていた)人の懐に潜り込み金を用意させて、好意をちらつかせ同居=監禁し暴行によって心身を支配し、親族に電話をさせ金を取り、暴力や詐欺に加担させ「人間関係」と「社会」からの孤立化をさせる。
その暴力行為は筆舌しがたく、いずれも人間の尊厳を侵し奴隷・廃人同然と化させる。
そうしてこれ以上この人間から金を取れないとなると他の奴隷に間接的な命令をし、殺害。
次の金づるを探すというやり口であった。
彼は逮捕後も全く反省の色はなく、殺害を直接指示をしたこともないし実行に加ったこともないと言い無罪を主張。いかに自分のことしか考えていないかが分かる。こういった人間を社会に戻すことの危険性は言わずもがなだ。
また「社会性がない」というのは「社会ルールと衝突するような独自ルール下で、自己利益のみ追求し平気で他人の人権を脅かす/自分の権利だけは守ろうとする人」のことだと感じた。
前述したが、現代社会では、人間的尊重や人権を侵さないというのは当たり前だ。そうした信頼の上で成り立っている。
その前提を脅かすものに制裁を加えるのは当然であり、その罪の責任を背負うのは義務だと言える。そのため、もし罪の意識があるのなら、隠したりせず「責任を取る姿勢を示すこと」が人生において有益に働くだろう。(やらないのが一番だが…)
また、病気の早期治療の様に、犯罪行為も早期に責任をとる(罰を受ける)ことが大事だと思う。
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社会規範からズレた集団や人が、元の社会に戻るのは難しい。
なぜなら、「責任」を負わなければならないからだ。その責任を果たさないと社会には戻れないし、たとえ果たしたとしても世間の目は恐れを持って冷たく当たるだろう。
信頼を失うのは簡単だが、得るのはとても難しい。
ーーーだから、保身に走って人は事態を隠しがちである。
しかし、隠蔽する方が他人につけ入れられる隙を作ってしまったり、罪を隠すために罪を重ねてしまったりして、取り返しがつかなくなる。
隠したとしてもその先は行き止まりだ。
なので前述した通り早期に対応することが大切なのである。
(……事件を調べていると、昨今の非暴力の流れにありがたみを感じる。昔のかっこよさや躾は暴力とくっついている場合が多く、治安的なことを考えると怖い。現代となっては無理だな…と思う流れも多いので、その価値観が廃れて寂しい気持ちもあったが、今やそれで本当に良かったなあ…と思った。)
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今度はなぜ人は隠すのか?ということについて学んでいきたいと思う。
また、こうした犯罪組織や犯罪者から身を守るためにどうしたら良いのか、法律やマインドコントロールについて学んでいきたい。
今回加害者による「償い」の難しさについて触れられなかったので、また機会があれば記事を書きたい。
その時またお付き合いしてくださると嬉しいです…………。
長々と読んでくださりありがとうございました…!
終
・完全ドキュメント 北九州監禁連続殺人事件
ISBN: 978-4163916590
・オウム死刑囚 魂の遍歴 井上嘉浩 すべての罪はわが身にあり
ISBN: 978-4569841373
・幻想の√5: なぜ私はオウム受刑者の身元引受人になったのか
ISBN: 978-4584139035

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