7/4※追記1、2
- 耳ず

- 2023年7月4日
- 読了時間: 11分
更新日:2023年7月11日
アメリカ独立記念日、おめでとう。

こんな簡単な絵しか用意できませんでしたが、なんとか絵付きでお祝いできました。
私の米英はこの日のおかげでCPを保っているので感謝しないといけません。
毎年「米英最高!」の時期と「米英は存在しない…信じられない…」の時期を行き来するので、後者の時期のためにできるだけ米英の何がいいのか?なぜ米英でないといけないのか?をメモしています。
それらのメモを元に普段漫画を描いているので、私の米英感は作品を読んで貰えば分かるかな…と思います。
とはいえ、せっかくなのでここに何がツボなのかを記していこうかと思います。
またどうやって彼らにハマったのかも振り返っていきたいと思います。
(7/7追記1。敬体が変わっていますがご了承ください)
ヘタリアと出会ったのは確か2009年だった。2期のアニメが放送していたのを覚えている。
雑食だった私にも方向性が決まり、それまで米英、仏英、朝菊、西ロマ、独伊、仏セー、日湾…etcあらゆるサイトを見てきた中で米英が特に好きだと自覚した。
夜な夜なニコニコ動画でナイスジョーカーを検索し、サーチエンジンや携帯サイトRankを使って徘徊していた。
この頃は、ツンデレ×ツンデレかわいい!萌える〜!ぐらいの感覚しかなく、好きな子をいじめる小学生のようなその恋愛模様に心を躍せていた。
よくお世話になったのが梨奈様のサイト「つまりはきみが好きだから」だったと思う。恋人代行シリーズが大好きで繰り返し読んで涙していた。昔の自分の振る舞いによって首を絞められる展開に切なさを感じた。
他にもお世話になったサイトが沢山あり、タイトルは覚えていなくとも印象深い話がいくつもある。
この時期pixivに登録した方が多く、皆様の作品を見るためにpixiv登録したのも懐かしい思い出だ。完全に見る専だったため、10余年経って投稿する側にまわるとは思いもしなかった。
その後ゑこ(るんこ)さんの「brothers March melody」シリーズ、のののののさんの「エイリアン」、すださんの「ありあまる富」「rock,paper,scissors,KILOMETERS」(こちらは仏英)等の同人誌を経て、独立戦争の時期の味わいや兄弟の関係性、イギリスさんの吐血に関してとても興味が強くなっていった。
私はこうしたものをテーマにした作品の味わいが大好きになり、こういった作品たちがいつまでも大切な存在であり続けるだろうことを確信していた。
しかし、自ら作るまでには至らなかった。
この頃は大作を読んだ…!という満足感で終わっていたからだ。大好きで何度も何度も読み返し、素晴らしいと余韻を味わう…その感覚だけで充分であった。
2013年。私は米英を離れジョジョにハマっていた。ディオ・ブランドーとジョナサン・ジョースターのCP…ディオジョナにハマり、私は素晴らしい二次創作群から善と悪、光と闇を対照することの脆さ……二律背反を学んだ。絶対的に思えたものは立場や見方を変えるとそうではなく、優しさが持つ暴力性もあるんだと。
物事には悪い面と良い面があり、そのどちらかだけということはない。それらの割合がどう振られるかは「どう感じるか」「何を信じたか」……そういった主観の上でしか成り立たないということだ。
世の中には幾通りもの見え方があって、一つのことに対し正反対の見方をすることもできる。どれかが真実ということはなく、どれもが正解でも不正解でもありえる。考え方に正しさはないのだと。
お恥ずかしながら、この時の私にとってそれは衝撃的なことだった。
ディオジョナと出会えたことで、私はさも当たり前の様に良いこと/悪いこととされている物事の根底を疑う様になった。いついかなる時もそれは本当に揺るがないことなんだろうか?と。
そして2014年に「残酷な神が支配する」と出会ったことで私のそうした物の見方は完成された。
この作品とは、ディオジョナのパロディで出会ったのだが、元ネタを読みたいと考えたその時の自分に拍手を送りたい。
この作品は、私の人生に最も影響を与えたものだろう。
自分が言うことを聞かなければ、大切な人が殺されてしまうかもしれない恐怖。
選択肢を与えられながら、実質一つしかないそれを自らの意思で選ばされる虚無感。
希望を己の手でドブに捨てさせられる無力感…自分を失っていく感覚…
人が壊れていく様を見た。
また、傷ついた心を癒す難しさ。
助けたいと手を引いたことを当人に非難され、自らのナルシズムやエゴイズムに直面する瞬間。更生させようと言って、操作しようとしていたのではないか?と。
自分のやっていることは正解なのか?と。
あまりに苦しい話のため、何度も息をするために本を閉じて頭を冷やしたのを覚えている。それでも読み進めずにはいられないほど、引き込まれるお話だった。
ディオジョナ、残酷な神が支配するーーこれらを通して描かれているものを疑う、言葉を再解釈する癖をつけた私が米英に戻った時、独自の解釈は自然出来上がっていった。
それでも、この時は漫画を描くに至らなかった。これらを描くには自分の技量が無さすぎるのを知っていた。挑む気にもならなかったし、ネタをどこかに公開するつもりも毛頭なかった。
しかし転機が訪れた。
2018年、少女終末旅行にハマった時、私は初めて自分の絵を、漫画を人前で創作した。多くの人が反応をしてくれて、その喜びが原動力となった。
そして漫画を描くのに慣れてきた頃、「今ならバナナフィッシュのあのネタが描けるかもしれない」…そう思い、描いてみることにした。
そうして、バナナフィッシュの75pの漫画が出来た。この時描き上げることができた自信がその後の貞カヲシンやcreekの長い話を描く気持ちに繋がっていったのである。
70pを越える作品を5本ほど描いた時、私は難しいと思っていた米英の漫画も描けるかもしれないと思った。
だが、この時は仕事が多忙だったため、とても漫画を描く気力がなかった。だからまずは自分の解釈としてよく分かる短い米英の漫画を2本描いた。
それから長い話の触りだけを描いて、落ち着いた頃に更に続きを描き始めたのだった。
それまでの間にも自分の解釈は変わっていき、元の話と変わってきた部分があるが、話の大枠は同じである。
こんなところが、米英と私の歩みだ。
次に、じゃあ私の解釈ってなんなんだ?というところに触れていこうと思う。
(7/11.追記2)
簡潔に言ってしまえば、私の米英において各々の傾向はこうだ。
米→英
根本的に好き。
独立期はかわいさ余って憎んだが、独立後は誤解を認めた(自己完結)。
ノスタルジーを感じる。郷愁の思いに駆られる。イギリスが恋しい。
放っておけない。
俺を見ろ!!
英→米
憎みきれない。
プライドの高さ故に憎まれ口を叩くが、本気で嫌うことができない。
なんだかんだ許してしまう。
が、根底にコンプレックスがあるので素直になることも難しい。
好きと言い切るのも、嫌いと言い切るのも苦しい。
純粋で無償の愛に憧れがあるが、実際無償で何かされると信じられなくなる。
これを見て分かる様に、私のべいえいは、米→英である。
前提としてイギリスさんからアメリカくんを好きになることはない。アメリカくんの努力の末絆されて好きになってしまう…というのが私の定石だ。
また、これらのことを描く上で必ずしも2人は恋人になる必要がない。
アメリカくんがイギリスさんに居てほしいと思う/アメリカくんがイギリスさんからの信頼をまた得る。それらの過程が描かれれば良いのだから。
そのことに気付いた時、私は米英を失った。
CPにする必要がない!!
また、米英でない作品※1のアメリカくんがイギリスさんに対し以下の様な思いを馳せていたことも大きい。
親子にも兄弟にも恋人にも
なりそこねてしまった
ただ特別な彼の顔が浮かぶ
俺たちは何になるのかな?
友達?
…………
…まあなんだって
君が困れば助けに行くよ
遅れてだけどね
なんたって俺はヒーローだから
この作品は米英ではない。
だけども、アメリカくんはこうなのだ。そして私はこの記述にいたく納得したのだった。
そうだ、彼らは家族でも兄弟でも恋人でも友達でもない。
それら全てがあり得たのに成り得なかった関係なんだと。
だから私は米英をやめた。
彼らは恋人なんて枠に収まらない。
第一、彼らのそういった要素が好きなら別に英米でも構わないのではないか?
逆CPとはいえ2人を好きになるポイントは変わらないと思う。彼らを好きな以上、独立時期の特別さは同じだろう。
だけども私に英米は無理だった。
おねしょの世話までした我が子同然のアメリカくんに劣情を抱くイギリスさんが受け入れられなかったからだ。
ちょっと待て、それなら米英にもそういったものがあるだろう!英米にだってアメリカくんに押されて絆されるイギリスさんの図はある!それなのに一括りに英米が無理だと言うのは酷いのではないか?
ーーそう思われるだろう。その通り。
酷い話なんである。私はそれが自分でも分からなかった。英米を受け入れられないのに米英を受け入れられる自分が分からなかった。
私は米英にも不信の目を向ける様になった。そもそも二次創作なのだから、不信の目も何も全て幻なのだが、私はその幻を見るのが怖くなってしまった。
2人のCPは無理なんだ!
そういった結論に達し、安易に恋人関係に押し込めようとした自分を激しく嫌悪した。
2人の関係の深みを簡単に一掃しようとした自分の無理解に嫌気がさした。
あり得ない。
それから暫くして、私は英米はもとい大好きだった米英も見れなくなった。2人のCP自体が見るたびに胸を突き刺す劇物となってしまったのだ。
それでも未練がましく「味覚音痴コンビ」で検索をかけてしまうのは、簡単に切るには長すぎる付き合いだったからだ。
米英を見失った私は、二人をCPにする他の方々の理由が知りたくなった。
一体何を思って米英に行き着いたのだろう?
丁度その時期、Twitterのハッシュタグにそういったものがあり、私は皆さんのきっかけを目にした。その中にいくつか「アメリカくんがイギリスさんを好きだから叶えてあげたいと思った」という趣旨の言葉があった。
私はそれを踏まえて原作を読み返してみることにした。
………えっ?!アメリカくんって、イギリスさんのこと好きすぎ…?!
私はアニメも見返した。
そうして自分の感想を記録した結果、アメリカくんのイギリスさんへの焦がれ具合に驚愕した。イギリスさんのいないところでイギリスさんの話をしすぎ、何くわぬ顔でイギリスさんの家に来すぎ、イギリスさんとの思い出懐古しすぎ…と。
私はアメリカくんがイギリスさんを恋しがっていることを確信し、先述の二次創作物、過去の好きな二次創作作品を経由して米英に再び戻ってきた。
そして、自分は彼らの
家族も兄弟も恋人も友達もあり得たのに、そのどれもが"足りなかった"故に収まらなかった関係性
を描いていくことにした。全てが彼らの関係にはあって、どれかだけにはなり得ない。その「特別な関係」を推していくことにした。
私は便宜上、それを米英と呼ぶことにした。
これが私の米英観なのだ。
私の混乱は
①他CP内での、自分の思うアメリカくんのスタンスを見つけたこと
②英米を理屈抜きで見られないこと
が生み出したものだった。
①に関しては、米英以外で解釈一致を見つけてしまったため、CP観と混同してしまったのだと思うが、②に関しては今や理屈は見つけてしまっている。
私は英米が無理というより、攻めのイギリスさんが耐え難いのである。イギリスさんを受けにすることでその人間性を許容してきたのだということに気付いてしまった。
なんとも偉そうな口ぶりだが、彼が攻めに回ることは本当に、本当に耐え難いものがある。
まるで、善意で受けてきたサービスを客が感謝もしないで当たり前の顔をし始める様な…そんな感情に似ている。私の中の攻めのイギリスさんの態度とはそういうものなのだ。下手に出ても上から目線でも同じことだ。
CPにしてくれない方がずっと良い。
私は存外受けのアメリカくんには問題を感じなかったので、尚更それが顕著であった。
また、イギリスさんへの思いは私自身複雑なものを抱えているので扱いが難儀なのだろう。元より私は意図的にイギリスさんを嫌いだと思い込んでいた人物なので間違いない。(アンチとかではなく、好きだと気付いた瞬間あんな奴好きじゃないと頭に言い聞かせ始めたのだ。なんとも恥ずかしい話だが…)
だから、それらが解消された時私は「米英」と呼べるように戻ったのである。楽しいものを楽しいと言える様になった。
結局、私は気付いてしまった以上、純粋に米英を楽しむことができないから、楽しむための免罪符が欲しかっただけなのだと思う。
とはいえ、今でも周期的に米英を疑わしく思うのは後遺症とでも言えよう。内容自体は先述と違うものであるが…。
それは以上の様な「特別な関係」の二人に落ち着いたものの、自分の米英はシリアスすぎるということだ。
原作がギャグなので、そのギャップに定期的に苦しめられるのだ。だから本編でもシリアスな独立戦争の漫画が己の命綱なんである。
7/4、私の米英はこの日に生かされている。
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まだまだ思うことの全てを描けてはいないですが、今後もヘタレこきながら漫画を描いていこうと思います。興味を持っていただける限り、お付き合いいただければと思います。
また、前回お話した「米英の長編漫画展望について話す」件に向けてこれまでのメモを取りまとめ中です。セトリを作って、できるだけ聴いてくださる方に分かりやすいようお話できたらと思います。また、もしよければ皆さんの考えや質問にも答えていきたいと思いますので、是非是非お声がけください。
開催はもくりで行う予定です。
日取りは7/16の20時頃になりそうです。
Twitterでも告知いたしました。
興味のある方よろしくお願いします…!
そんなところで。
アメリカくん誕生日おめでとう

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