喰霊アニメ
- 耳ず

- 2020年7月4日
- 読了時間: 6分
話としては、霊を退治する各省所(防衛省、環境省)の退魔課が活躍する、というものです。
当時、このアニメの一話が衝撃的だったそうですがOPを見たことがある自分には先が気になって仕方ありませんでした。なので完全初見の視聴者に比べて、一話視聴後ぽかんとすることはありませんでしたが見終わるまで眠れなくなってしまいました笑
二話以降は過去のことに触れていくので、途中から一、二話の時間軸に合流していきます。一、二話で見せられた世界観や事象で疑問に思ったことが、説明されていくのです。全12話のアニメでしたが、とてもうまくまとめられ、見応えのあるものでした。
12話構成の中、三話から過去の話になるということは、大切なのは最初のシーンにいたるまでの過程だということです。これで察しのいい人は分かると思うのですが、過去を回想するというのは大抵明るいものではありません。このお話は悲しいものだということです…。
脚本の素晴らしさもさながら、演出、作画、音楽、キャスト、その全てが完璧でした…!現在軸に行くまでに必要な要素、その伏線が折り重なりとても丁寧に張られています。キャラクターの個人的好みはあると思いますが、無駄な登場人物というものが、私の思う限りありませんでした。
少し百合表現のようなものがありますので、苦手な人にはできませんが、とてもオススメなアニメです…!!
個人的にそうした表現は親密さの表れであり、恋とかいうものではないです。なので私感このアニメに百合はありません。
以下ネタバレ込みの感想を述べていきます。
・神楽がDクラスの霊を切ったところを、仲良くなりつつあった同級生に見られてしまった時、お墓参りに行った神楽にポニテの同級生(名前忘れましたごめんなさい)が責め立てるシーンがありますよね。あそこポニテに対して視聴者は腹が立つと思うのですけど、彼女はお家とかと何の関係もない外の人間なんです。彼女でなければ言えないことを言わせるために存在する人物なんですね。実際彼女の言うことが神楽の心を動かし、現体制をただ受け入れるのではなく疑問する視点を与えたんです。いやーーーーーーー…….……よくできてるなあと思います。もう一人の大人しめの子は何も言わず神楽の話を聞いて、逆にポニテの子にやめるよう言いますよね。彼女は視聴者が移入するためにいるんです。視聴者は神の視点なので、全てが分かっている。だからポニテの何も分かってない言い分にむかついて黙らせたくなる。それをライトにですけど彼女が言ってくれることで多少緩和する。うーん…どちらも必要な役回りなんですよね、本当にすごい。
・神楽と黄泉の才能コンプレックスについてです。神楽が同級生と話したこともあって、退魔師になることを躊躇し始めるシーンがあります。神楽は黄泉よりも優れた才能を持っていて、それを持っていながら戸惑うというのは贅沢な悩みですよね。能力がもったいない。黄泉は神楽が大切なので、そんなコンプレックスは表に出しませんが…こういう才能コンプレックス、というかコンプレックスというものが物語上出てくることが大好きなんですね…
努力しているものにとって、才能を持つものがそれを活かさないことはシャクに触ります。自分がどうしたって手に入れられないものを捨てるんですから。でも、才能がある者からしたら、自分の気が進まないのに能力だけでその道を選ばせられるというのは酷な話です。才能があるからって、その道に行かなくてはならないのか。
・殺生石は負の感情(憎しみや妬み)を増幅させるものでした。しかしその性質と反対に体を癒す力を持ってるんですね。見てる間は、どういう原理でこの石が傷を治すのかと思っていたのですが、この現象はとても比喩的ですよね。コンプレックスで心に傷を持った者が、憎しみを増幅させることでその傷を癒す……治しているのは体ですが、心の暗喩のようです。少年が殺生石を与えるのは決まって相手が弱った時です。本当は、そんなもので体は癒せませんし心も癒せません。どんどん蝕まれていくのです……なんだかその治癒の原理は、深い意味を持っている気がします。
・作中印象に残った言葉が、思い出す限り二つあります。一つは神楽のお父さんが言った「人のまま人を助けるなら心を捨ててはならない」というものです。やーーーー….………かなりしんどい道ですよね。人が苦しみや痛みから解放されるのは決まって死後です。「涅槃で会いましょう…」なんてセリフ、ありましたね。そういうことです。苦しむから、痛みを忘れることなどできないから人でいられるんです。それを救うというなら、その痛みを持つ覚悟がいるんです。救うというのは、楽にするという一筋だけじゃないですよね。救う、どうやって、これには色々あります。決して一つじゃないんです。
二つ目は、神楽の言った「死ぬことに意味なんてあるのかな」です。個人的に死に意味をつけることはできます。どう死ぬか、それは人が選ぶこともできます。でも、死ぬこと自体に何の意味もありません。それは、生きることも同じですよね。だから生きる意味を探すなんて言葉が世に蔓延っています。生と死は表裏一体。そのどちらにも意味はない。でも、逃れられぬそれに選択を付与する意味。意味を探すことに心はあります。神楽はこの時、黄泉を殺すか殺さないかではなく、黄泉の前で自分がどう戦うか考えたのかなと思います。「自分が傷つかないような戦わなくちゃ勝ちじゃない」は黄泉が言ったことです。自分の命をどう扱うか。その、問題だったのかなあと。うーーん………
・黄泉の最期、神楽を想うなら黄泉は頭を撫でてはいけなかった、声をかけてはいけなかったと思いました。最後に正気に戻られて、そんな人を殺したこと、それは残されたものにとってはとてつもない苦しみです。なら、最後まで戻らないでいて欲しかった。でも、黄泉の気持ちを思えば…ですよね。ずっと蝕まれてきた体が自分の意思に帰ってきたのだから、愛しい神楽に触れずにはいられない。神楽が好きだと言いながら黄泉を切ったように、黄泉も大好きだと言わずにはいられないのです。その、理屈にはどうにもならないエゴ、感情というものが、堪らなく好きです。私は妙に理屈っぽくなってしまうので、こういう展開は創作の上ですごく参考にしたいです。
とはいえ、やっぱり、神楽はこの後この時のことどう受け止めたのか、とても不安ですね。原作の漫画を読めば分かることなんですかね。
神楽の心が落ちついてからであれば、あの時の黄泉の行動が正しく理解できるかもしれませんが、あの直後は傷の上塗りにしかならない気がして……神楽の精神状態がそこまでいけるのか分からなくて、そこも含めてアニメは悲劇に感じました…
悲しい話というのは、二元論を打ち砕いてくれるから好きです。あと、このアニメは二人の微笑ましいシーンを大切にしてくれて、温かいシーンを多くしてくれてとても良かったと思いました。物語を深めるのは、過去と今のギャップ、理屈と感情のままならさ、これだと思います。そのギャップが大きいほど、二つに切って分けることは難しく良し悪しでは計れなくなります。多面的になるんですね。
素晴らしいアニメでした…!


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