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残酷な神が支配するについて3/4

  • 執筆者の写真: 耳ず
    耳ず
  • 2020年9月2日
  • 読了時間: 20分

二章

一章を踏まえると、ジェルミを支配していた人物にグレッグが浮かび上がる。グレッグはジェルミに対してだけでなく、周囲の人物にも口外しないよう働きかけ、また、自分の立場を利用して周囲に自分の嘘を信じるよう手回ししている。グレッグが働きかけた具体的人物として、前妻の姉ナターシャ、新米メイドのシャロン、次男マットの三人が挙げられる。三人には、グレッグとジェルミの行為に気づいた共通点がある。それぞれが受けた扱いを順にみていく。

 一九九二年九月二五日、ナターシャは三年ぶりにグレッグの屋敷に泊まる。彼女は三年前までこの屋敷に一〇年間暮らしていたのだ。色々なことが思い出され眠れず、廊下に出たナターシャはグレッグとジェルミの行為を覗き見てしまう。グレッグはナターシャに気づき、見たことを黙るよう命令した。ナターシャは、グレッグに行為をやめるよう説き伏せようとしたが、彼女の胸を鷲掴み、言えばマットを打ってやると脅した。ナターシャは、亡くなったリリヤの代わりに赤ん坊のマットを育てたため、我が子のようにマットを可愛がっていた。そのため、マットに危害が加わることをとても恐れていた。また、ナターシャは屋敷に住んでいた一〇年間、グレッグからジェルミ同様の行為を受けていたため、その恐怖を、身をもって知っていた。グレッグの恐怖を前にナターシャは沈黙を守ってしまった。

 次に、一〇月に新しく雇われたメイドのシャロンは、一一月一四日にグレッグとジェルミがキスしているのを目撃してしまう。この時、主人の病状が悪化し、手術代を必要としていたシャロンはこのことでグレッグからお金を前借りしようとする。グレッグは部屋の扉を閉じて二人だけになると、シャロンにキスをして暴行を働こうとする。欲しがった紙幣を口に突っ込み、シャロンは慌てて部屋から逃げ出した。後ろを振り向くと、グレッグが愉快そうに顔を歪めており、身の危険を感じたシャロンは荷物をまとめてすぐに屋敷から出て行った。リンフォレストの道中、銃を持ったグレッグが前に現れ、シャロンに餞別だとサンドラのエメラルドの指輪を差し出す。シャロンは指輪を断り、何も知らないと身をひるがえして森の中へ逃げた。グレッグはその後ろから何度も銃声を鳴らした。グレッグの恐ろしさを目の当たりにしたシャロンは、グレッグがいる限り屋敷には寄り付けないと連絡を断った。彼女もまた、グレッグを前に口を閉ざしたのだった。

 そしてマットは、一〇月一〇日にシャロン同様、グレッグとジェルミがキスしているのを目撃する。マットはそれを夕食の場で、二人はデキているのだと話す。グレッグは、嘘をついて皆の関心を引こうとしている、とマットの行いを激しく怒鳴りつけた。黙れときつく言い放ち、マットは泣き出して居間から退出した。グレッグはサンドラに対して、マットは根性が悪いと説明して宥める。これから分かるように、マットは見たことをそのまま口にする正直者であるがために、グレッグから疎まれ印象を操作されている。グレッグから性格のひねくれた問題児だという風に扱われるため、その解釈が使用人からイアンまで広く浸透し、度々グレッグからのけ者扱いを受けても受け入れられている。家庭を乱すマットは問題児なのだと、調和を乱す行為は暗黙にタブー視されていた。

ここから見えてくるものがある。森田ゆり氏の『子どもへの性的虐待』では、三つの沈黙――加害者が誰にも言うなと強いる沈黙、被害者が守ろうとする沈黙、被害者が語れない環境を温存する社会全体が培養する沈黙――を性的虐待における長期的深刻なダメージを与える原因として述べている。これらの沈黙が、グレッグによって巧みに構成され、ジェルミはその支配に嵌っていったのだ。ジェルミは、グレッグとのことを誰かに知られるのを恐れ、沈黙が破られることを何より怖がっていた。そのことは一節を踏まえれば一目瞭然である。

 また、吉田タカコ氏の『子どもと性被害』では、性的虐待を受けた子どもが従ってしまう、嫌と言えない理由として五つの項目を述べている。

一つ目は加害者の巧みな操作である。操作は五つの要素①洗脳②喪失③分離④未覚醒時⑤死の恐怖に分けられる。①では「みんなやっていることだよ」「二人だけの秘密だよ」と嘘の情報で洗脳することを意味し、②では「このことをお母さんが知ったら自殺する」「他人に知られたら友達がいなくなる」などと、秘密にしなければ愛する人を失うと脅迫することを指す。③は「誰かに話したら誰もお前を信用しなくなる」と脅すことで、他人が事実を知ること、他人から情報を得ることから遠ざけ、④では睡眠中、就寝直前、身体的虐待を受けたときなど、子どもの意識、判断が低下しているときに初発、エスカレートすることを意味する。そして、⑤では「しゃべったら殺すぞ」という究極のメッセージが送られている。

二つ目は親が子どもを語らせない状況に追い込んでいることである。親の中には、性被害は恥ずかしいこと、語ってはいけないことと遠ざけている人がいる。子どもはその態度を見て、「自分は恥ずかしい存在だ」「話しても信じて貰えない」「話したら叱られる」と思い口を閉ざす。もしくは、何よりも愛する親が、話すことでパニックに陥ったり、嘆き悲しませたりすることを恐れている。加害者が身内の場合には、その思いが特に強く、発覚後も事実を否定する子どももいる。

 三つめは加害者を庇おうとしているのである。加害者が子どもにとって信頼と愛情を寄せる相手であれば、子どもは性的虐待という行為のみを恐れ、本人を憎んではいない。行為さえやめてくれれば上手くいくと思っているため、加害者が責められたり罰を受けたりする可能性を知れば庇おうとする。このような傾向は、加害者が身内である場合に特に強い。

 四つ目は性的虐待により快感を覚えたことへの罪悪感である。怖かったり、嫌な思いをしたりしても、身体が快感を覚えたことで共犯者であるような気持ちになり、罪悪感から口を閉ざしてしまう。健康であれば行為の上で快感を得ることがあってもおかしなことではない。しかしそれは本人が同意しているわけではないのだ。

 五つ目は語れる言葉をもっていないことである。子どもは、不快感や違和感を覚えてもそれを説明する言葉を持っていない。正しい名称を知らないために、俗語や隠語を発して大人に叱られ「話してはいけない」と思ってしまう。

ジェルミが沈黙を守った理由として、一つ目、二つ目、四つ目が考えられる。一つ目に当たる操作をジェルミは受けており、四つ目に挙げられる罪悪感も、オーソン先生とのカウンセリングから読み取ることが出来る。そして、彼が隠し通そうとした大きな理由として、二つ目が主に考えられる。というのも、関係が始まったきっかけを振り返れば、それはサンドラにあるからだ。ジェルミにとってサンドラはとても大切な存在であり、ジェルミは彼女を失うことを恐れていた。知られてしまえばサンドラが死んでしまうと考えていたことは、作中繰り返し描写されている。グレッグとサンドラが亡くなり、イアンに事を知られた際にも、世界でたった一人の肉親だったから失いたくなかった想いを話している。グレッグの支配の背景には、サンドラの存在があった。彼女なしにこの関係は成り立ちえない。

なぜグレッグはジェルミに対してこのような支配を行ったのだろうか。また、その支配の根底にあるサンドラとの関係はどのようなものだったのだろうか。三章ではグレッグを、四章ではサンドラを考察していく。


三章

一九九三年一月四日、グレッグの葬儀が行われた。誰もがグレッグの誠実で公平な性格を称賛し、その死を嘆いた。グレッグの伯父ルースは、彼の鑑識眼を買っていて、不幸な中でも誠実な努力家だったとその人格を褒めた。副社長のジョンは、人の二倍働く人で、自分との貿易商事もあっという間に大きくしたとその腕前を評価した。イアンも、父を努力家でロマンチスト、厳格で公平な人だと大切に思っていた。ハーバードのビジネススクールを卒業し、多くの成功を収め、人望もあったグレッグ。その彼がなぜジェルミに性的虐待を行ったのだろうか。

 性的虐待を行う者の本質として、西澤哲氏の『子ども虐待』では支配欲求をあげている。性的虐待というと、親が子に対して性的欲求を持っているように感じられるが、実のところは支配欲求にある。性的な行為は支配の手段であり、性的なことができるほどに支配している、ということが重要なのだ。性的虐待を行う者は、子どもが親元や家族から逃げられないのを利用して、自分の無力感を贖う有能感を得るためにこのようなことをする。

また、同書内では虐待する親の心理について、「虐待心性評価尺度(PAAI)」を用いて分析している。結果、主に中心となる特徴として「体罰肯定感」「子どもからの被害の認知」「自己の欲求の優先傾向」の三つが示された。「体罰肯定感」は、子育てには体罰が必要であるとする考え方で、「子どもからの被害認知」は客観的状況とは無関係に子どもの存在や行動によって、自身が被害を被っていると認知することである。「自己の欲求の優先傾向」は、子どもの欲求と親の欲求に葛藤が生じた場合親の欲求を優先する傾向のことである。

身体的虐待を受けた者は、体罰肯定感を持つ可能性が高い。自分が親から暴力を受けた理由を、悪い子であった自分にあると考え、体罰はそんな自分を正すためにしたしつけであると考える。そのために自分の子どもにも同様の育児をして、親に愛されていた自分の人生を肯定する。もしくは、幼少期に得られなかった有能感を、今度は自分がしつけする側となったことで、子に「悪い子の自分」を投影して得ようとする。次に、ネグレクト(育児放棄)では、被害的認知を生みやすい。親から十分に愛情を与えられて育たなかった場合、自己肯定感が低くなり、周囲の態度や状況に対して被害意識を持ちやすい。それは自分の子どもに対しても同様であり、赤ちゃんの泣き声に対して自分を責め立てている、馬鹿にしていると誤認しやすい。そのため次のネグレクトにつながってしまうのだ。最後に、心理的虐待だが、これは「純粋な虐待」と称されることがある。というのも、身体的虐待の場合には、前述したように暴力は親の愛情だと歪んで認識することが出来る。そうして親の攻撃性を否認することが出来るが、心理的虐待はこうはいかない。心理的虐待は、「お前は自分の子どもじゃない」「欲しくて産んだ子どもじゃない」というように、子どもの存在価値をストレートに否定する。子どもも、親が己に持つ拒否感や嫌悪感を真っ直ぐ受け取るしかなく、そういった面で「純粋な虐待」と呼ばれるのだ。これはその後の影響におけるふり幅が最も大きく、身体的虐待、ネグレクト、心理的虐待といずれにも転じやすい。

 以上を踏まえて、グレッグが支配欲求を強く持つ理由を考える。周りから優れた評価を得ていたグレッグは無力感を抱えていたのだろうか。


 一九四四年一一月一四日、グレッグ・ローランドは、母アンと父ジョンの下に生まれた。続いて弟クリフォード、妹メリルが生まれ、家庭は三人の子どもに恵まれた。ローランド家は、貴族の家系であり、祖父のアダムスが商店を開き、父のジョンがウィスキーで儲けたことで大きな屋敷を持っていた。しかし、その成功とは裏腹にグレッグの両親は仲が悪かった。アンがジョンと結婚した理由もアダムス・デパートの30%の株券にあり、二人の間に愛は薄かった。両親がケンカするたびに、グレッグは母につき、弟と妹は父について言い争った。そのためか理由は分からないが、グレッグは父から「自分の息子なものか」と言われ続けてきたのだ。グレッグは息子として、その存在を認められていなかった。

 グレッグはリリヤとの結婚の際、次のような誓いを立てている。


『わたしは/絶対に/幸福になってやる/絶対に/理想的な/幸福な家庭を/つくろう/わたしは/あの家の/息子なんだ/わたしは それを/証明してみせる/父も母も/醜い/愛のない夫婦/愛のない家庭/わたしは/決して/あんなふうには/ならない/わたしは/一人の女/だけを/愛する/わたしだけを/愛する妻/わたしだけの子供たち/わたしの/全身全霊を/こめて/愛してやろう/世界一/美しい家庭を/つくろう/わたしはそれを/わたしに誓う/……!』(十巻、三一三、三一四頁)


 この誓いには、愛し合う温かい家庭への憧れと、息子として親からの愛を求める気持ちが込められている。グレッグはいつも母親の側についていたが、そのために見えてきたものもあっただろう。母は、父のすぐ怒鳴るところや趣味の下品なところが嫌だったようだが、父側は一体何が気に入らないのか分からないようだった。母は屋敷のカーテンを自分好みの赤と金模様のものに変えたり、リリヤに申し付けては愚図と罵ったりと気難しい性格であったようだ。兄弟のうち、二人が父についたということは、多く責められる側にいたのは母アンの方だったのだろう。その母についていたグレッグは、彼女の気難しさに振り回されてきたのではないだろうか。一九九二年一二月一七日にグレッグは、ジェルミに皆が自分をうらやみ愛してくれたことを話す。彼が挙げる人々の中に、伯父や祖父母は入っていても両親は入っていなかった。グレッグは四八歳のこの時までに、両親が自分を愛してくれたと思っていないのだ。西澤哲氏の『子どものトラウマ』では、虐待の背景には親自身の非常に激しい愛情飢餓がみられると指摘している。グッレグがジェルミに話した内容からも、グレッグに激しい愛情飢餓があったことは見て取れる。ついぞ得られなかった親の愛情、息子として認めてもらえなかった無力感や両親の不仲が、グレッグの理想を追求し、完璧を求める性格に繋がったのだろう。

また同書『子どものトラウマ』では、完璧性への欲求の背景に、自己肯定感や自己評価の低さが存在していることを述べている。その場合、親子関係や両親の夫婦関係に問題を抱え、それまでの自分を肯定的にみることができない場合が多い。そのために、新たに家庭を築く際に「完璧な親」となることで、それまでの人生で得られなかった自己肯定感を回復しようとする傾向がみられる。自分が完璧な親として、完璧な家庭を築くことが自分の人生最後の砦のように感じているのだ。グレッグの誓いには、そのような必死さも見られる。グレッグにとって、リリヤと家庭を持つことは、人生を再スタートする意味があったのだろう。

 重大な転機となる、リリヤとの出会いはある夏のことであった。モスクワから移民してきたロシア人一家の一人で、グレッグは英語を教えるボランティアのために一家を訪れたのだった。グレッグ曰く、金髪のリリヤは神話の鹿のように細く、儚げであったという。二人は恋に落ち、一九七三年に結婚した。グレッグ二九歳、リリヤ二十歳の頃である。グレッグはリリヤのために、屋敷のカーテンをリリヤ好みの淡いピンク色に変えた。母アンの赤い金模様のカーテンを捨ててリリヤに合わせたことは、これまでの愛のない家庭への決別、新しく迎える温かい家庭への祝福が込められていたのだろう。カーテンを一新することは、家庭を一新することと同じ意味を持っていた。そして一九七四年、イアンが生まれた。幸福な家庭の中に誕生したイアンは、グレッグが待ち望んだ第一子であったろう。

 リリヤには故郷で両親に決められた、いとこの婚約者がいた。彼の名前をオレグ・スターンと言う。彼はリリヤの幼馴染で、兄妹のような存在でもあった。グレッグとの幸福のために、ナターシャは婚約者のことは忘れなさいとリリヤにアドバイスした。リリヤはそれを聞き入れ、グレッグとの愛のために彼の望むような、聖母のような妻であろうとした。しかし、リリヤに届くロシア語の手紙や贈り物をグレッグは良い風に思わなかった。グレッグはこの時のリリヤの様子を悪女のようにサンドラに言って聞かせている。男遊びを覚え、安っぽい贈り物に安っぽいラブレターを貰って、嘘に嘘を重ねていたのだと嘆いた。実際のリリヤは、決してそうではなかった。リリヤはいつも控えめに微笑んで、慎ましく屋敷で過ごしていた。手紙や贈り物が、グレッグの言うような邪な気持ちによるものだという証明もなかった。当時をナターシャの視点で振り返れば、オレグとリリヤは幼馴染や友人として程度の付き合いであったことが分かる。グレッグとサンドラを引き合わせた桜の鍔も、オレグからの贈り物であったが、東洋のアンティークを好むリリヤが喜ぶだろうと思って送ったに過ぎないだろう。その時は、贈り物に深い意味がなかったように思える。

 しかし、前述したようにグレッグはそれらの行為を良く思わず、むしろ警戒心を抱いていた。リリヤにとっては何気ないやり取りが、グレッグにとっては、やっと築いた家庭を崩壊する危険因子のように感じられたのだろう。一九七七年、グレッグはリリヤとイアンを連れてボストンへ飛んだ。ビジネス・スクールで二年間学ぶための渡米であったが、リリヤをオレグから引き離すためでもあった。グレッグは勉学に励み、リリヤに割く時間が少なくなっていった。リリヤはつわりが酷く、グレッグとも話す時間がないために引きこもりがちになっていった。そこにナターシャが訪れ、リリヤの様子を見かねてボストンへ連れ出した。そこで偶然にも、アメリカに帰化したオレグに会ったのである。リリヤは久しぶりにするロシア語の会話に花を咲かせ、オレグと心を通わせた。リリヤは追い込まれた状況でオレグに心惹かれたが、イアンとグレッグも愛していたためにオレグとのことは隠した。ナターシャもそのようにアドバイスした。オレグとボストンで会ったことを知ったグレッグは、最初こそ理解を示してみせたがそのうち怒り出した。グレッグにとっては、引き離すために来たボストンであったのだ。そこで出会ったとなれば、口裏を合わせていたようにしか感じられないのである。グレッグは不信感を募らせ、リリヤに、オレグと会うこと、ロシア語を話すこと、電話すること、外出することを禁じた。リリヤの自由を奪い、リリヤの不貞を前提にグレッグはあらゆる要求をした。リリヤは誤解を解くために、グレッグの押し付ける「貞淑な妻」像を実現しようとしたが、その態度がグレッグに対する罪悪感への証明となり、彼の疑心を深めるものとなって循環していった。また、応えなかったとしても、リリヤの不誠実さを責める理由を増やすだけであった。家庭で孤立し、支配を受けたリリヤは、いずれにしてもグレッグの言うことを聞くしかなかった。そして、リリヤはグレッグに精いっぱい応えながら、死ねと囁く声を受け止めざるを得なかったである。グレッグが彼女にしたことは、立派なDVである。DV加害者に共通する思考として、宮地尚子氏の『トラウマ』では次のように述べている。


加害者の多くは、親密的領域は自分が支配して当然、むしろ支配しなければだめだと考え、自分の行動を正当化しています。「配偶者は所有物」「親しい中だったら何をしても構わない」「愛しているならすべて受け入れて当然」「妻を指導したり、しつけるのは当然」と考え、むしろそれをうけいれない相手に非がある、と本気で思っています。それが相手の個的領域を奪っていることには気づこうとせず、親密的領域を自分が支配していなければ自分の個的領域が脅かされるかのように感じています。DV加害者更生プログラムは日本でも少しずつ始まっていますが、そこでは、まず自分の正当化の論理、自分のほうが被害者だという論理を疑ってもらうことから始まります。


 上記のように、グレッグにも被害者意識が強くある。リリヤに対し、加害行為を行っていながら、その原因はリリヤが不誠実であるからだとして、裏切られた自分を被害者に思った。そのために、被害を受けた自分は、自分を脅かすリリヤに対して報いる権利があると考えている。リリヤは、オレグとヨットに乗る約束もしていたが、そうした支配の中では勿論行くことが出来なかった。当日、天候が急変し、波に呑まれたオレグは帰らぬ人となってしまった。リリヤは彼の葬儀に出席することも許されず、何通かきたロシア語の手紙も自らの手で焼かされることになった。リリヤはオレグとはなんでもないと話したが、疑心に苛まれたグレッグはそのすべてが嘘に聞こえ、聞き入れなかった。ついには、リリヤのお腹の子が誰の子なのか責め立てるようにもなった。リリヤは、オレグと再会した時の気持ちを「何とも思ってない」という嘘で誤魔化し、自分にも思い込ませたが、彼の事故死は彼女の心に綻びを作っていった。グレッグは、良い妻を演じてくれれば愛するふりをしてやると話しながら、自分を騙す彼女の裏切りを、針で刺すように日々責めた。グレッグにとってそれは、当然の報いであったのだ。そんな中、リリヤは自分を見失いノイローゼとなって、一九七九年自殺した。グレッグ三五歳、リリヤ二六歳のことであった。

 当初リリヤとオレグの関係は恋仲のようなものではなく、友人同士の遊びでしかなかった。しかし、それに対してグレッグが過剰に反応し、断罪したことで事は大きく膨らみリリヤを自殺まで追い込んでしまった。これは、グレッグとリリヤが住まいを置いた、ボストンの「セイラムの魔女狩り」に酷似している。

 一六九二年、マサチューセッツ州ボストン北部のセイラムで魔女狩りが起きた。巽孝之著作の『ニューアメリカニズム 米文学思想史の物語学』によると、セイラムの魔女狩りが起きたきっかけは、バルバトス島出身の混血女性奴隷ティテュバのヴードゥー教呪術を用いたちょっとした遊びであった。こうした遊びが、なぜ歴史的事件に発展するまでに影響を与えたかというと、当時のピューリタン支配階級がティテュバの遊びを危険な魔術ととらえたためである。彼女の呪術は遊びにおける言葉にすぎなかったが、ピューリタン牧師たちにとっては、自分たちの社会を根本から脅かす条件であるように映ったのだ。グレッグもこの事件のピューリタン牧師と同様に、リリヤがオレグと会うことで自分の完璧な家庭、言うなれば自分自身が崩壊の危機に晒されると感じたのである。

〈きみを大切にしたのに/服も靴も下着もわたしが買った/読む本もわたしが選んであげた

家も食べ物もわたしが与えた/君の瞳にはわたしだけが映る/私の瞳に映るのもきみだけ

わたしのすべてだったのに〉(五巻、二一四頁一コマ目)


 一九九二年一〇月一七日、グレッグはこの夜ジェルミとの行為にリリヤへの思いをぶつける。その中でグレッグは、リリヤが自分の女神であり、リリヤしかいなかったことを話す。上記に抜粋したように、グレッグにとってリリヤはすべてだったのだ。リリヤと築く家庭には人生のやり直しがかかっており、幸福な家庭を得ることはグレッグ自身の自己評価に直結していた。理想の家庭を築けなかったことは、グレッグがどれだけ社会的評価を得ようと埋められない、自己肯定感の喪失だったのだ。そういった意味でも、リリヤはグレッグにとって神的存在であった。リリヤはグレッグが人生の再スタートを切る上で縋る存在であったのだ。そしてグレッグの求めた完璧な家庭に、亀裂を持ち込み、不信に陥いらせたリリヤは残酷に映ったであろう。しかし、その亀裂は完璧を求め少しの誤差も許さないからこそ起きたものであり、一人の女を愛し、妻は自分だけを愛し、自分だけの子どもたちの幸福な家庭と誓いを立てた時点で約束された悲しみでもあった。

 グレッグは一九九二年に再婚するが、妻であるサンドラの立ち位置はリリヤとは別のものであった。グレッグにとってリリヤは女神であったが、サンドラは聖母マリアであった。聖母マリアとは、神の子を腹に宿した聖女のことである。グレッグは桜の鍔をサンドラが持っていたことは、リリヤの引き合わせであると考え、サンドラとリリヤに関連性を持たせようとしている。されば、女神リリヤが子である桜の鍔を、聖母サンドラに宿したという解釈である。かつてのリリヤとの結婚の際は、これまでの家庭との関連性を切ろうとしていたが、サンドラとの結婚の際にはリリヤとの家庭の地続きとして見ている。その意識は、子連れ同士で結婚したことからも見れるだろう。相手の子がいる時点で、かつて立てた誓いの「わたしだけの子供たち」から反れてしまっている。グレッグにとって、サンドラとの結婚は、リリヤと得られなかった幸福な家庭を再建するための糧なのである。また、サンドラとの出会いが、「セイラムの魔女狩り」から三百周年の節目であることからもその意味合いが取れて見える。理想的で完璧な家庭は失敗し、その崩壊は取り戻せるものではない。グレッグは最後の砦を失ってしまったのだ。そのために今度は、ボストンで出会った幸せそうな親子を取り込むことで、埋めることのできない自己肯定感を取り戻そうとしたのではないだろうか。理想の家庭は得られなかったために、繕いだけでも幸福になるよう支配を求めたのだ。

 グレッグの支配欲求の裏側には、両親の不仲による幸福な家庭への憧れと、息子として認めてもらえなかった自己肯定感、自己評価の低さが表れていた。喪失した愛情への渇望があったのだと思える。

 
 
 

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